vtuberは性的
ツイッターのトレンドに面白そうなワードが目に飛びついた。
「vtuber動画を県警が削除」
どういうことだ?とクリックし、一通り読み終わったところで納得した。
Vtuberは性的
それはもう当然のことだ。
女性が男性ファンをつける。男性が女性ファンをつける。
このスタイルは、性的魅力をフル活用して得られる産物であって、そもそもvtuber自体が性的な存在である。
だからこそ、表の舞台には不適切であり、ましてや公的機関が起用するなど言語道断。
オタク男性女性が恋心を抱きそうな声やイラスト使って、その恋心を利用して金を巻き上げ、今回のような事件で自分たちの立場が危うくなればファンに助けを求め、洗脳されたファン達は、ネット上でなにがなんでも擁護に徹する。
まるで宗教じゃないか。
教祖に洗脳され、「お布施です」と金を渡し、いいように使われる。教団をディスる者がいれば野次を飛ばし、擁護に徹する。
言わなくてもわかるだろう、同じであると。
だからこそ、こう思った。
僕は心底、vtuberが好きじゃなくてよかった。
と、今回ばかりはそう思った。
もちろん、vtuber全員が当てはまるわけではないのは百も承知だ。
様々なスタイルで勝負をしている多様化的な面がある一方、中にはお笑い芸人のような面白い男性vtuberが男性ファンや女性ファンを惹きつけ、盛り上げていることを僕は知っている。
そういう人たちを起用するなら問題はないだろう。
だが今回はどうだ。
腹を露出している女性vtuber???
もう論外だ。
腹出ししたスカートの短いファッションの女性なんて男性を魅惑しているビッチそのものじゃないか。
男性ファンを獲得するために描かれた絵というのは露出が多いものであって、これは性的魅力を活用しているのと何ら変わりがないのだ。
性的魅力を活用すればするほど支持者は増え、ビジネスになる、そんな汚いコンセプトの上で活動してるvtuberは死ぬほど嫌いだ。
大嫌いだ。
見たくもないし、見ない。
またそんなvtuberを応援している人たちは、早く目を覚ましてくれ!と思う。
でも彼らは何も悪くない。
悪いのはすべて、vtuberだから。